お雛様
「ひなまつり」は、女の子の心と身体が健やかに、美しく育つようにと願って行われてきた日本の伝統行事です。
「上巳(じょうし)」の節句の日(三月三日)に、人形に厄を負わせて川や海に流すと、
一年間無病息災でいられると平安時代に起こったのが行事の始まりですが、
現在のような形になったのは江戸時代からです。
端午の節句
「端午」とは古来、月初めの午の日を指しましたが、奇数月の同じ数字の重なる日を節供としたならわしから、
いつの頃からか五月五日に限られるようになったものです。この日が「子どもの日」として祝日に決められたのは、昭和二十三年。厄除けにつながる菖蒲湯の風習を残しながら、
武者人形を飾って男の子の成長を祝う習慣は、我が国独特の端午の節供行事として現代にも受け継がれています。
江戸時代に定着した五月人形
菖蒲が「尚武」に通じることから男子の武運栄達、さらには健やかな成長を願う行事として、端午の節供は江戸時代中期に定着しました。紙の鯉のぼりや家紋を入れた内幟・又鎧・兜も登場し、男児の成長と無病息災を願う行事は武家社会を中心に盛んに行われるようになりました。
身も守る鎧・兜
鎧・兜は昔、武家社会の男子にとって非常に大切なものでした。また、今日では男子の身を守るという意味を持っており、端午の節句に飾ることで、男の子の誕生を祝い、交通事故や病気にかからないように身を守ってほしいという願いがこめられています。
武者のぼり
旗指物の幟は、遠く鎌倉時代の昔から武門の誉を誇示し、家の繁栄を願う御印でした。たくましく育ってほしいとの願いを込めて、庭や門前にたてられるようになりました。
鯉のぼり・登竜門
鯉のぼりの由来は、鯉が「竜門」という急流の川をのぼると龍になって天へ登るという、
中国の伝説からきています。健やかな成長と立身出世を願うご家族の温かいまごころです。
お盆
初盆には盆提灯をたくさん飾って精霊を華やかに迎え慰め、供養したいものです。
亡くなられてから初めて迎えるお盆を、「初盆」といい、普通のお盆よりもお飾りやお供えを盛大にします。
提灯は精霊送迎の意味だけでなく、精霊に安らかに成仏してほしいという祈りと、生前のご恩に対する感謝の気持ちを込めた大変心のこもった先祖供養の表し方です。
初盆を迎える家では、親戚や故人と親しかった方々から贈られた提灯や行灯、お供え物を飾ります。
盆提灯や行灯は、多ければ多いほど故人が周囲の方々から慕われていたことを示すものです。
贈る側としましても、生前お世話になった、また親しくお付き合いしたという印ですので、真心を込めて選びたいものです。
お正月
羽子板
羽子板は室町時代から、羽根つき用のものと、飾り用のものに分かれていました。羽根つきを描いた桃山時代の絵によると、羽根をつく羽子板は、板の上に梅の枝などを描いたり、左義長(宮中の正月の儀式で魔を払う行事)を描いたものでした。江戸時代の後期から、これに押絵を用いて歌舞伎役者の姿を取り付けるようになると、羽子板は一段と華麗さを増し、庶民の人気を集めるようになりました。現時のお正月に羽子板を飾る風習や、女の子の初正月に羽子板を贈る習わしは、昔からの伝承によって、諸々の邪気をはね(羽根)のけて健やかに育つようにとの願いが込められています。
破魔弓
破魔弓は魔除けの意味で神社などで、かなり古くから用いられてきました。これが一般の人々の間に広まったのは、平安時代の中頃だといわれています。朝廷では、皇子が誕生したときに魔除けとして、弓矢を用いて鳴弦の儀式を行っていました。破魔弓が現在のような形になったのは鎌倉時代からだといわれています。江戸時代には、武家や町人の間に、男子の初正月の祝いに破魔弓を飾る習慣が生まれ、それが全国に広まりました。現在、正月に破魔弓を飾るのは、こうした伝統にもとづくもので、破魔弓が悪魔を追い払い、男の子が健やかに育つようにとの願いが込められています。